2010年の日本シリーズは現在でもファンの間で語り継がれています。
その理由は、パ・リーグ三位のロッテが見事にクライマックスシリーズを突破し見事にセ・リーグ覇者の中日を倒し日本一に輝いたからです。
三位からの日本一は史上初ということもあり、世間では「史上最大の下剋上」と呼ばれ大きな盛り上がりを見せていました。
その日本シリーズで現在ヤクルトに所属する成瀬善久投手の熱投や岡田幸文選手が日本一を決める決勝タイムリーを放ったシーンに注目が集まりますが、その史上最大の下剋上を支えた選手は他にもいます。
それは、胴上げ投手に輝いた伊藤義弘投手です。
シーズン中から大車輪の活躍を見せるだけでなく2010年の日本シリーズでもフル回転でロッテの日本一に大きく貢献した投手です。
しかし、
その日本シリーズから6年経過した2016年に戦力外通告を受けてしまいました。
今回はかつて日本中の視線を一身に集めた伊藤義弘投手に注目します。
プロフィール、成績など伊藤義弘投手の野球人生に迫ってみたいと思います。
今後はどのような生活を歩むのでしょうか?
関連記事:戦力外通告「クビを宣告された男達」テレビ2016年の放送はいつ?今年は誰か予想!
ロッテのブルペンを支えた伊藤義弘!ロッテ入団までのプロフィールは?

伊藤義弘投手は2007年のドラフト会議でロッテから大学・社会人ドラフト4位で指名されてプロ野球の世界に飛び込みました。
ロッテの史上最大の下剋上を支えた投手ではありますが、どのような野球人生を歩んできたのでしょうか?
< 伊藤義弘投手のプロフィール! >
生年月日:1982年6月2日
身長/体重:177cm/75kg
投球/打席:右投/右打
■ 経歴
東福岡高校 ⇒ 國學院大學 ⇒ JR東海
生年月日:1982年6月2日
身長/体重:177cm/75kg
投球/打席:右投/右打
■ 経歴
東福岡高校 ⇒ 國學院大學 ⇒ JR東海
以上のような野球人生を歩んで来ました。
大学時代から150km/h近いストレートを武器にする速球は投手として活躍をした投手でした。
社会人野球の舞台でそのストレートは強い輝きを放ち、2007年の都市対抗野球で王子製紙の補強選手として活躍を見せました。
その実績が評価され2007年の秋のドラフトでロッテから指名を受けたのです。
アマチュア時代から多くのプロ野球選手を輩出したチームでのプレーを続けていますが、エリート街道を歩みながらも社会人としての経験もしてきた選手なのです。
伊藤義弘がロッテで残した成績は!?バット直撃事件の影響は大きかったのか!?

伊藤義弘投手は2008年からロッテでプレーをしていました。
一番印象的なのは史上最大の下剋上で胴上げ投手に輝いたシーンかもしれませんが、ロッテでどのような成績を残してきたのでしょうか?
< 伊藤義弘投手の通算成績! >
シーズン 登板 勝利 敗戦 ホールド 防御率
2008年 51 0 0 9 3.05
2009年 56 2 6 12 4.55
2010年 65 1 2 30 3.48
2011年 50 1 1 15 2.29
2012年 6 0 1 2 3.00
2013年 17 1 3 2 10.61
2014年 5 1 0 0 0.00
2015年 7 0 0 1 5.40
2016年 一軍登板なし
シーズン 登板 勝利 敗戦 ホールド 防御率
2008年 51 0 0 9 3.05
2009年 56 2 6 12 4.55
2010年 65 1 2 30 3.48
2011年 50 1 1 15 2.29
2012年 6 0 1 2 3.00
2013年 17 1 3 2 10.61
2014年 5 1 0 0 0.00
2015年 7 0 0 1 5.40
2016年 一軍登板なし
以上のような成績を伊藤義弘投手は残してきました。
2008年のデビューから2011年まで4年連続で50試合以上に登板するなど、まさにロッテのブルペンを支えた投手と言えます。
しかし、
気になるのが2012年から大きく成績を落としているだけでなく登板も激減している点です。実はこれには大きな理由があります。
なんと2011年9月1日の対日本ハム戦で陽岱鋼選手と対戦した際に陽岱鋼選手の折れたバットが左すねに直撃し左下腿三頭筋打撲と挫創を受けてしまいました。
このバット直撃事件を皮切りに2012年の春のキャンプでは右肩痛、ぎっくり腰、右肘、仙腸関節炎など多くの故障を発症することとなってしまいました。
以降度重なる負傷だけでなく投球に精彩を欠く場面が目立ち、徐々に登板する機会が減少し、遂には2016年は一軍登板がないままに戦力外通告を受けてしまいました。
推測にはなりますが2011年のバット直撃事件で軸足を故障した影響で身体全体のバランスが崩れて修正が出来なかったのではないかと考えています。
投手のフォームは非常に繊細なので少しのバランスの崩れが大きく投球に影響を与えます。
あくまで推測ですが、このバット直撃事件が伊藤義弘選手の野球人生に影響を与えたのかもしれません。
↓ 衝撃のバット直撃事件の映像はこちら ↓
関連記事:三家和真戦力外からロッテへ!BCリーグ時代の給料は相当ヤバかった!?年俸や成績は?
大卒社会人の伊藤義弘!ロッテ入団後の年俸推移は!?

伊藤義弘投手は社会人を経由してプロ野球の世界に入団しています。
社会人として給料を貰いながら野球をプレーしていた経験もありますが、プロ入り後はどのくらいの年俸を受け取っていたのでしょうか?
< 伊藤義弘投手の年俸推移! >
2008年 1,000万円
2009年 2,100万円
2010年 3,000万円
2011年 5,000万円
2012年 6,000万円
2013年 5,000万円
2014年 3,800万円
2015年 3,000万円
2016年 2,400万円
生涯獲得年俸:3億1,300万円
2008年 1,000万円
2009年 2,100万円
2010年 3,000万円
2011年 5,000万円
2012年 6,000万円
2013年 5,000万円
2014年 3,800万円
2015年 3,000万円
2016年 2,400万円
生涯獲得年俸:3億1,300万円
伊藤義弘投手の年俸推移は以上のようになっています。
年俸が億に達することはありませんでしたが、ブルペンを支えた投手として十分に年俸を与えられていたことがわかります。
相当な浪費をしていない限りは第二の人生を歩む上で十分な貯蓄があるかもしれません。
社会人を経由してのプロ入りですが、中継ぎ投手も活躍を見せれば適切な査定を受けることが出来るということを証明したのが伊藤義弘投手かもしれません。
しかし、
今後はどんな人生を歩むのでしょうか?
現役続行の道を選ぶのでしょうか?
それとも第二のキャリアへ歩みを進めるのでしょうか?
ロッテ・伊藤義弘の第二のキャリアは!?バット直撃事件を乗り越えた先は!?

ロッテから戦力外通告を受けた伊藤義弘投手ですが、実は巨人の入団テストを受けたのですが残念ながら契約に至りませんでした。
しかし、ここで野球選手としての道を諦め教員免許取得のために奮闘しているそうです。
現在はパソコン教室に通い、office関連のソフトの使い方などを勉強しているそうです。
もともとプロ入り当初から決して若くない年齢でのプロ入りだったため常に第二の人生を考えていたそうなのですが、プロ入り当初のロッテの指揮を執っていたボビー・バレンタイン監督の叱らない育成等に興味を持っていたのです。
加えて自分自身の社会人経験を活かしながらもスポーツに関連する職業を続けたいという想いが強いようです。
自身が一流のアスリートとして活躍した経験を次の世代に伝承する道を伊藤義弘投手は選びました。
史上最大の下剋上を支えた右腕は第二の人生に向けて着々と準備を進めています。
また今後違った形で伊藤義弘投手の名前を耳にする日がくることを祈りたいと思います。
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